御 祭 神



そこつつのおのかみ

なかつつのおのかみ

うわつつのおのかみ

※ 以上、住吉三神と申す。

おきながたらしひめのみことじんぐうこうごう

古事記・日本書紀によると、伊弉諾尊(いざなぎ)が筑紫の日向の橘の小戸のあはぎ原でみそぎ祓いされた時、尊の御体から流れ落ちた水が渦を巻き、その中からお生まれになった神様です。
新羅御出兵に当られた神功皇后が倭国(日本)にお帰りになるときに海が荒れ、鮎を用いて神占いしたところ、船先に住吉三神を祀れば良いと神託を享け無事に摂津国(大阪)にお帰りになられました。
御神徳としましては、住吉大神は禊祓い(みそぎはらい)の御神格をもって御出現になりましたので、清め祓いの神、安産の神でもあります。
また歌神として和歌俳句の愛好者から崇拝を受け、又、無事に海を渡り帰るとの古事に習い、航海安全、交通安全、商業農業の祖神として信仰を集めております。

御 由 緒


元治元年(1864)、箱館八幡宮神主菊池重賢より「ヲタルナイ」「タカシマ」両場所の総鎮守として、住吉大神を勧請すべく箱館奉行所に出願し、寺社奉行所掛合済みの上、慶応元年6月ヲタルナイ運上屋の最寄りの地へ勧請奉祀することを許された。
慶応二年、本陣付近に適当な社地の下付方を願い出、幕府はヲタルナイ役所詰の幕吏に命じて小樽港へ入港する諸船に賦役して本陣下の渚汀の埋め立てを行い、社地を造成することとした。
しかし明治維新の改革により社地造成は途中で中止となったため、山ノ上町厳島社に仮奉祀することとし、明治元年御神体は社人加藤右京に護られて箱館を発向し、同年八月三日到着、御鎮座祭ならびに「ヲタルナイ」「タカシマ」両場所の静謐記念祭を執行した。
同四年厳島社から量徳町二十八番地に移転、明治八年郷社に列格し、小樽の発展に伴い祭礼は逐年盛大に執行された。
同十四年の火災直後量徳町道路改正に際し現在地に転地を許可された。従来墨江神社と称していたが明治二十五年一月住吉神社と改称した。明治三十一年六月境内地の増加と社殿の改築の許可を得て、翌三十二年造営がなった。明治三十九年十一月県社に昇格、昭和三十年神社本庁別表神社に指定され、同四十六年七月鎮座百年を記念して社殿を改築した。
平成九年鎮座百三十年を記念して、道内最大級の神輿「百貫神輿」の修復。平成十九年鎮座百四十年を記念して、神輿五基・馬車一台を奉安する神輿蔵を建設。